2021.04.08インタビュー

対談連載【金融ビジネス/最前線の変革者達 No.17】 ありあけキャピタル株式会社 代表取締役CIO 田中克典氏 「『同じ船』に乗って地域銀行の変革を推し進める」

田中克典氏(ありあけキャピタル株式会社 代表取締役CIO)
聞き手:大原啓一(株式会社日本資産運用基盤グループ 代表取締役社長)

地銀再編の話がそこかしこから聞こえてきます。菅首相は2020年9月、自民党総裁選に立候補を表明した時、「将来的に地銀の数が多すぎるのではないか」と発言しました。一方、銀証連携の動きや、SBIホールディングスを主体とした「第四のメガバンク構想」等も動きだしています。

そのなかで、地域銀行にエンゲージメント投資をするファンドをローンチし、地域銀行の再生を進めようとしているのが、ありあけキャピタルです。代表取締役CIOの田中克典氏に、今後のビジョンなどを伺いました。

プロでありたいという気持ちからアナリストに

大原  まず御社の事業内容、経営者のプロフィールなどについて教えていただけますか。

田中  ありあけキャピタルは私とCOOの高野の2名が中心になって立ち上げた会社です。2020年4月に会社を設立して、2021年2月に適格投資家向け投資運用業のライセンスを取得して、この上期にはファンドをローンチする予定で動いています。

私自身は2001年に新卒でゴールドマンサックスの調査部に入りまして、退社する2019年12月まで、ほぼ20年間、アナリストとして活動してきました。

最初の4年間は、現在の菅政権のもとで観光立国の指南役となっているデイビット・アトキンソン氏のジュニアアナリストを経験した後、7年間は資生堂やJTなどコンシューマー・プロダクトのシニアアナリストを経て、それから9年間は金融セクターのシニアアナリストを担当していました。

またCOOの高野は、同じくゴールドマンサックスでプライムブローカレッジというヘッジファンドの立ち上げなどをサポートするセクションのヘッドをやっていました。

大原  以前から田中さんは地域銀行が面白いということをおっしゃっていましたが、まさかご自身で地銀を対象とするエンゲージメント投資会社を立ち上げられたことには驚きました。何しろゴールドマンサックスですから、ここを辞めるというのは尋常ではないと思ったのですが、どのような想いでありあけキャピタルを立ち上げたのですか。

田中  私自身、アナリストとしてキャリアをスタートさせた時、まず思ったのがプロフェッショナルでありたい、ということでした。子供の頃、野球をやっていたのですが、子供は子供なりに、自分がプロ野球選手にはなれないことを分かっていましたが、どこかにプロに対する憧れがあったのでしょうね。自分の名前で自分の仕事をしたいという気持ちを強く持っていて、大学院を卒業する時にアナリストという仕事に出会いました。自分の名前で仕事が出来て、自分の意見も言える。なんて素晴らしい仕事なんだと思いました。

それで20年間、アナリストの仕事を続けてきたのですが、自分の子供が生まれた時、ちょっとした気持ちの変化が芽生えました。この子が大学を卒業して就職する時、自分は現役のプロフェッショナルとして相談に乗りたいと思ったのです。次の20年間の自分のキャリアを考えたときに、いまもう一度チャレンジするタイミングがきたと思いました。

地域銀行に焦点を当てて起業

大原  それにしても、地域銀行って不人気のセクターじゃないですか。私は以前から地銀こそがこれからの金融業界の主役だと主張していますが、そうした意見はかなり例外的で、殆どの業界関係者やメディアの方々の見方は悲観的なように感じています。その領域に焦点を当てて起業されたことに驚きました。

田中  アナリストって、人気セクターの担当になると自分自身も人気が出たような錯覚に陥るときがあります。基本的に話をしたい人が多いので、自分の担当セクターについていろいろ聞かれたい。それが仕事なのですが、銀行セクターの場合、特に日銀がマイナス金利を導入してからはダメ産業の烙印を押されてしまい、銀行株に投資する意味がないという雰囲気が広がりました。

それは別に私自身が否定されているわけではないのですが、銀行アナリストと話をしても仕方がないという雰囲気のなかで歯がゆい思いもしましたし、世間で言われるほど、本当に地銀には企業価値がないのだろうかという思いもあり、勝負をかけることにしたのです。

大原  田中さんがゴールドマンサックスを辞めることに対する周りの反応はどうでしたか。

田中  競合他社に行くのではなく、自分がこういうビジョンを持っていて、それを試してみたいということを会社側に伝えたところ、引継ぎなどの時間は要しましたが、会社も新しいチャレンジとして受け入れてくれて、色々応援してくれる円満退社ができました。個人的には長く働いた会社なので円満退社できたことも含めてすごく感謝しています。

独立することについては正直、ワクワクと不安が半々でした。確かに自分の名前で仕事をしてきたつもりでしたが、ゴールドマンサックスという屋号を使わせてもらっての田中克典でしたから、その屋号を持たずにどこまで自分はできるのだろうかというところは、不安も実はありました。ゴールドマンサックスの名刺が無くなった時、果たしてどれだけの人が私に会ってくれるのだろうかという不安ですね。まだビジネスは稼働準備中ではありますが、大原さん含めて、ゴールドマンを辞めてまでするチャレンジだから応援するという人が規制当局や銀行業界ふくめてでてきてくれたことはうれしい誤算でした。

大原  会社名に「ありあけ」を冠したのはなぜですか。

田中  ありあけ時、つまり「朝」という意味があって、投資先の地域銀行の皆さまと一緒に朝日が昇るところを見たいという想いを込めました。

あと、社名はひらがなにすることを決めていました。カタカナの社名だと、どことなく外国人もどきのイメージを持たれるので、そこはネガティブだなと思ったのです。でも、ひらがなにすれば日本人による日本人のための投資会社という自分たちの想いを反映したイメージになるだろうと考えました。免許を、香港やシンガポールでなく、東京でとることにしたのも、やはり日本企業へのエンゲージメントの拠点は、日本であるべきであると考えているからです。

地銀投資のタイミングは到来した

大原  地銀に投資していくということに対する周りの評判はいかがでしたか。

田中  ひとつは衰退産業に投資するなんてモノ好きだよねという反応ですね。それと同時に、確かに地銀株はバリエーションの割安さと地域での存在感の大きさを考えると割安だよねという見方もあって、それは両方とも正しい反応だと思います。

私は、投資というのは、逆張りよりも順張りのほうがうまくいくと思っています。人口減少時代に入っている日本において、地方が衰退傾向にあるということ、そして、地方が衰退傾向にあるならば、地域銀行にも構造的逆風が吹いていることは事実です。この事実に注目すると、地銀投資はたしかにものずきな逆張り投資に見えます。

しかし、見方を変えると、地銀株投資は順張りになると思っています。まず、もっとも重要なポイントは、今地域銀行には変化が求められているという点で、我々はその変化をサポートする存在であるという点です。変化を嫌がっている人に変化を促すのではなく、変化を志向する人にサポートをしたいと考えています。

よく、菅政権が地銀改革を掲げているからタイミングよかったですね、というご評価も頂くのですが、私どもはその前から2021年は地銀にとって変化の年になると考えていました。その根拠は、マイナス金利が5年目になることです。銀行の資産の平均残存年数(Duration)はだいたい3-5年です。つまり、マイナス金利が導入されて5年経過したということは、マイナス金利以前の金利の高かった時代につくった資産の多くに満期、償還が来ているということを意味します。銀行の変化が求められるタイミングが到来したのです。その意味では、マクロ的にみると、2021年は、銀行にとって誰にも強制されないでも変化が求められる年であるということが言えます。

もう一つは市場の認識とのギャップです。アナリスト時代、必ずしも日本のことに詳しくはない海外投資家から、地域銀行の低いバリエーションについて質問をうけました。なぜ地域銀行のPBRが0.3倍なの?何か大きな不良債権問題を抱えているからだよね。だったら、不良債権を除いたリアルブックバリューを使ってバリュエーションしてくれと、よく言われました。

それに対して私は、これは不良債権を抱えているからではなくて、今後、構造的に赤字が続いて、今ある資本がどんどん棄損していくことが懸念されていて、例えば資本が半分まで減少すれば、0.3倍は気が付いた時には0.6倍になるので市場はそれを懸念しているんだよと答えていました。しかし、私は、同時に自分の答えも間違っていると感じていました。なぜならば、銀行は規制業種であり、資本が半分になるまで、赤字が継続することが放置されることはありません。つまりこれは、市場が思うよりも早く変化は起きることを意味します。

皆がセイムボートに乗るための施策を講じる

大原  すべての地域銀行に変革のチャンスがあると考えても良いのでしょうか。

田中  これは地銀の変革の可能性と、我々がどうするのかという二軸で考える必要があると思います。

地銀が変わらなければならないというのは、誰もが思っていることですが、我々は投資ファンドですから、成績を出していかなければなりません。その意味では、まずはアップサイドが出やすい地銀に投資したいと考えています。

それはどういう地銀なのかというと、まず経営者に変革の意志があることです。「崖の上から飛び降りる」ために、すでにストレッチを行っている人に対して、飛び降りても骨折せずに済む方法を一緒に議論するのが我々の役目でもあります。そういう地銀を選別して投資します。

あとはエンゲージメントの手法ですが、企業価値が高まるように我々の知見を活かして無料コンサルティングを実施します。それによって企業価値が高まるのであれば、我々のコンサルティングは無料でも良いというスタンスです。大事なことは、投資先である地域銀行の価値が上がれば、私たちの利益も増えるという点で、利害を一致させることです。

大原  具体的に、どのようにして地域銀行の変革を促していくのですか。

田中  鍵になるのは、地域銀行と昔からお付き合いをしているお客様、地銀で働く銀行員、経営陣、そして株主が皆、同じベクトルでセイムボート(「同じ船に乗る」)になることです。

平たく言うと、お客様が儲かれば銀行も儲かり、お客様を儲けさせた担当者は銀行で評価され、銀行が儲かることにより、株価があがり株主も報われるということです。株主と銀行員のインセンティブを共有するストックオプションも重要だと思っています。

例えば、地域銀行が保有している上場している政策保有株を売却し、その売却して浮いた資本を地域の非上場の中小企業に投資することによって、地域銀行とそのお客様は運命共同体になるということが考えられます。

地方企業が事業承継で困っているとしましょう。どうしても番頭格の社員に継がせたいけれども、番頭さんは今の経営者から株式をすべて取得できるほどのお金を持っていないとしましょう。その場合、たとえば番頭さんに自己資金を1%分だけ出してもらい、残りの99%については銀行が運営しているファンドが拠出します。そして、企業が利益を生んでいく過程でファンドから自社株を買い取ってもらい、最終的に自己株消却してもらうことにより、その会社は番頭さんのものになり、事業承継が完成します。この一連のプロセスを実行していく中で、その銀行は名実ともにその企業のメインバンクになるのです。

それと、もうひとつはアフターコロナの事業再生です。昨年は保証協会付き融資で切り抜けた会社も、これから返済が始まっていくなかで、銀行は再生を諦めなければならない先と、残さなければならない先の選別を求められます。その時、残す企業に対してどのような支援が出来るのかを考えなければなりません。融資の金利を低くするのではリスクに見合ったリターンになりませんが、金利を上げれば、その金利が再生の妨げになります。このような場合に、銀行が、エクイティ型資金を提供することにより、企業が再生した場合のアップサイドを銀行も共有できるようになります。

地域銀行が保有している政策保有株の売却は、これらの施策を実施するための元手を作るためです。

大原  「崖の上から飛び降りる」覚悟がある地銀の経営者は実際にいますか。

田中  います。既にお話ししたように、色々な外部環境変化が銀行に変化を促しており、変化は既に始まっていると考えています。私たちは、その相談相手になりたいと考えています。

大原  ありがとうございました。

(*)日本資産運用基盤の対談連載【金融ビジネス/最前線の変革者たち】の全てのバックナンバーはこちらからお読み頂けます。