「JAMPの視線」No.344(2026年8月5日配信)資産運用会社を、運用に戻せ
JAMP 大原啓一の視点 2026年8月5日
東野圭吾さんの訃報に接し、20代の頃からほぼすべての作品を繰り返し読んできたファンの一人として、寂しさを感じています。 最も好きな作品は『秘密』ですが、最近は小学6年生の長男も「ガリレオ」「マスカレード」「ブラック・ショーマン」の各シリーズにはまり、親子で本や映画の感想を語り合うのが楽しみでした。数々の物語と、親子共通の楽しみを残してくださったことに、心から感謝したいと思います。
地味な第1章に、今回のレポートの本質がある
さて、「骨太の方針2026」と「成長投資を促進するための金融戦略」を取り上げた先週のコラムでは、政府は政策上重要な事業を、民間資金にとって投資可能な条件へ整え、資産運用会社やアセットオーナーは、受益者の最善の利益に照らして投資機会を選別すべきだと書きました。政策と市場の役割を混同せず、資本配分の規律を維持することが、「資産運用立国のアップグレード」には不可欠だからです。
ただ、その議論には一つの前提があります。その選別を担う資産運用会社は、本当に企業調査、投資判断、ポートフォリオ構築といった本来の仕事へ、十分な人材と経営資源を振り向けられているのでしょうか。
「資産運用サービスの高度化に向けたプログレスレポート2026(概要版)」より抜粋
金融庁が7月24日に公表した「資産運用サービスの高度化に向けたプログレスレポート2026」には、企業調査、生成AI、日本版EMP、PEファンドなど、華やかなテーマが並びます。しかし、私が最も重要だと感じたのは、指図、投信計理、レポーティングというテーマを取り上げた、いささか地味な第1章でした。
そこには、資産運用会社と信託銀行の間にメールやFAXによる指図が残り、データ項目や様式も各社で異なること、投信計理の細部が標準化されず、基準価額を二者で別々に計算・照合していること、同じファンドでも販売金融機関やアセットオーナーごとに報告資料を作り分けていることが記されています。金融庁は、資産運用会社が運用に専念できる環境を整えるため、事務処理の集約と適切な業務分担を進める必要があるとしています。
これは単なる事務処理の効率化に関する提言ではありません。運用力は、ファンドマネジャー個人の能力だけでなく、それを商品として実装し、継続的に提供する組織能力との掛け算で決まります。資産運用会社に「もっと運用力を高めよ」と求めるだけでは足りない。運用に集中できない生産構造そのものを変えなければならない。今回のレポートの本質は、そこにあるのだと思います。
業務は外部化できても、複雑性は外部化できない
興味深いのは、日本では外部委託そのものが進んでいないわけではないことです。調査対象となった資産運用会社22社のうち、19社は投信計理業務のほぼすべてを外部委託しています。それでも各社固有の計理方法が残るため、BPO機関(外部受託機関)や信託銀行はEUCやマニュアルで個別対応し、資産運用会社ごとの専任部署を設けている会社まであります。欧米では専門のアドミニストレーター1社が基準価額を計算するのに対し、日本では資産運用会社またはBPO機関と信託銀行が別々に計算し、照合する構造が残っています。
指図業務でも構造は同じです。資産運用会社、BPO機関、信託銀行が、それぞれ異なるデータ項目や様式で接続する「N対N」の構造では、接続先が増えるほど対応の組み合わせも増えます。システムを利用していても、必要なデータ項目が不足し、定義が会社ごとに異なれば、結局はメールや手作業で補完することになります。
両者に共通するのは、業務の実行主体を外へ移しても、業務単位や処理ルールまでは標準化されていないことです。個別仕様や例外処理を残したまま外部委託すれば、規模の経済は働かず、委託元にあった非効率が受託者側で再生産されます。紙をPDFに、FAXをメールに、手入力をExcelマクロに置き換えても、非効率な業務を少し速く処理しているにすぎません。デジタル化と標準化は同じではないのです。
この構造がもたらす問題は、事務処理コストの増加にとどまりません。新しい運用戦略を商品化するには、評価方法、計理、指図、資産管理、開示、販売金融機関向けの報告まで個別に設計する必要があり、設定までの時間と費用が膨らみます。規模の小さな独立系運用会社や海外の新興運用会社にとっては、それ自体が参入障壁になります。
運用戦略が先にあり、ミドル・バック部門がそれを支えるように見えて、実際には、既存のシステムとオペレーションで処理できる範囲が、商品化できる戦略の範囲を決めています。資産運用業界には、運用力を市場へ届ける前に、「商品化のフィージビリティ」という壁があるのです。ミドル・バックは単なる後方支援ではなく、資産運用会社が市場へ提供できる価値の範囲を規定する、事業モデルの一部だと考えるべきでしょう。
標準化とは、利益と責任と主導権の再配分である
業界関係者の多くが必要性を理解しているにもかかわらず、なぜ標準化は進まないのでしょうか。それは、標準化が単にシステムや帳票の形式をそろえる作業ではなく、現在の業務に付随する利益、責任、顧客関係を組み替えることだからです。業界全体には合理的でも、個々の当事者に同じような利益をもたらすとは限りません。
例えば、基準価額の一者計算へ移行すれば、重複コストは確かに削減できるでしょう。しかし、誰かの業務と報酬が減る一方、計算を担う主体には、算出責任、障害対応、誤謬発生時の調査や補償負担が集中します。業界全体のコストが下がることと、すべての当事者の損益が改善することは同じではありません。金融庁も、算出責任、コスト分担、信託銀行間の標準化、ベンダーロックインなどを課題として挙げています。
レポーティングでも同じです。販売金融機関やアセットオーナーごとの個別仕様は、資産運用会社にとっては負担ですが、依頼する側にとっては、自社の管理や販売実務に適合したサービスです。標準化の便益を得る主体と、個別対応の利便性を失い、自らの業務を変更する主体が一致しないのです。
しかも、改革の便益は将来にわたって業界全体へ分散する一方、システム改修、データ移行、業務変更など、前例のない改革に伴う試行錯誤の負担は、最初に着手する事業者へ直ちに集中します。既存の複雑性が、顧客による委託先の切替えを難しくする参入障壁や乗換えコストとして、個社の収益を守っている場合もあります。
したがって、標準化が進まない理由を、危機感や技術力の不足だけに求めるのは適切ではありません。各社が自社の収益、責任、顧客関係を守ろうとする合理的な行動の積み重ねが、業界全体の非効率を温存しているのです。標準化とは、仕事、報酬、責任、データの管理権限、顧客接点に対する主導権の再配分にほかなりません。
だからこそ、現行業務の最大公約数を探して電子化するだけでは不十分です。まず共通のデータモデル、責任分界、接続ルール、データと業務の可搬性を定め、それを前提に各社の業務を組み直す。同時に、移行費用の負担、標準の管理主体、仕様変更の意思決定方法まで設計する必要があります。
既存業務をそのまま標準化するのではなく、標準を起点として業務そのものを再設計する。この順番を間違えてはいけないと考えます。
共通基盤が、本当の競争を可能にする
資産運用業界に必要なのは、内製業務をそのまま外へ移すことではありません。資産運用会社がどの機能で付加価値を生み、どの機能を非競争領域として標準化するのかを、産業全体で再設計する必要があります。
運用哲学、企業調査、投資判断、商品設計、プロダクトガバナンス、受益者にもたらす成果は、各社が競争すべき領域です。一方、指図データの形式、投信計理の基本ルール、定型的なレポーティングなどは、各社が独自仕様を持つこと自体が、投資家への付加価値になるとは限りません。
非競争領域を標準化し、複数の資産運用会社、信託銀行、BPO機関、システム事業者が共通ルールで接続できる基盤を整えれば、新規参入者は巨大な固定費を先に抱えることなく、運用力や商品設計力を問われるようになります。既存の大手資産運用会社も、重複していた人材と資本を、運用、調査、商品開発、データ活用、受益者理解へ振り向けられます。
ただし、業界全体を一つのシステムや事業者へ集約すれば、個社内の垂直統合を業界レベルの垂直統合へ置き換えるだけです。必要なのは、共通のデータ仕様と接続ルールの下で複数の事業者が競争し、委託先を変更してもデータや業務を円滑に移行できる、開かれた基盤です。なくすべきなのは事業者間の競争ではなく、データ形式や例外処理を巡る、生産性を生まない競争です。
もちろん、ミドル・バック業務を外部委託しても、受益者に対する責任まで外部化できるわけではありません。資産運用会社には、委託先を選定・監督し、障害や過誤に備え、商品全体の品質を管理する責任が残ります。必要なのは「事務処理を持たない資産運用会社」ではなく、自らが担う付加価値と最終的な責任を明確にした資産運用会社です。
金融庁も、この取組を資産運用会社や信託銀行にとっての「大きな業務変革」と位置付け、経営陣のコミットメントを求めています。これはミドル・バック部門だけの業務改善ではなく、どの機能を自社に残し、どの機能を外部へ開き、どの責任を引き受けるかを決める経営課題です。
私たち日本資産運用基盤も、創業以来、投信やETFなどのホワイトレーベルサービスを通じ、運用者がすべての機能を自前で抱えなくても、運用哲学や商品構想を市場へ届けられるかを実務の中で検証してきました。今回のレポートを、当社が掲げるビジョンやこれまでの取組へのお墨付きと捉えるつもりはありません。ただ、私たちが現場で向き合ってきた問題が、業界全体で解くべき課題として共有され始めたと受け止めています。
資産運用立国に必要なのは、資産運用会社へさらに多くの機能を積み上げることではありません。資産運用会社でなくても担える機能を産業構造として引き算し、そこに拘束されてきた人材と資本を、運用、商品設計、企業調査、受益者理解へ戻すことです。資産運用会社を、もう一度「運用する会社」に戻す。今回のレポートが問いかけているのは、ミドル・バック業務の部分的な効率化ではなく、日本の資産運用業の生産構造そのものの再設計なのだと思います。
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News Picks ダイジェスト
代表取締役 大原啓一 のコメント
【松井証券、資産運用業に参入へ ファイブスターに2割超出資】
大原のコメント→
この取引の本質は、松井証券が自社メディアで集めた「顧客投資家の関心」を、商品企画・販売を通じて投信残高へ転換し、残高連動の継続収益として取り込む仕組みを構築し始めたことにあると思います。低コストインデックスの普及によってオンライン証券各社の商品棚がコモディティ化するなか、次の利益プールは商品そのものよりも、顧客の関心を発見し、商品化し、残高へ転換する能力へ移りつつあります。登録者数100万人に迫るYouTubeは、もはや広告媒体ではなく、需要発見から商品販売までをつなぐ新たなディストリビューション・インフラです。
形式上は松井証券がファイブスターへ出資する取引ですが、経済的に見れば、ファイブスターが得る最大の資産は松井証券の顧客接点でしょう。運用残高642億円を持つ独立系運用会社であっても、運用力だけでは突破しにくい成長制約がディストリビューションにあることを象徴する案件です。
ただし、販売金融機関が運用会社の筆頭株主となれば、提携先商品の残高を伸ばす経済合理性と、顧客に最適な商品を中立的に選定する責任との間に、避けがたい緊張が生じます。メディア起点の商品開発が顧客ニーズの発見につながるのか、それとも視聴されやすく、売りやすいテーマ商品の量産につながるのか。問われるのは、提携先商品の販売額ではなく、オープンアーキテクチャーとプロダクトガバナンスを維持しながら、顧客にコスト控除後でどれだけの付加価値を残せるかだと思います。
https://newspicks.com/user/121187/?ref=user_121187&id=121187&sidepeek=news_17175959
【個人預金が大流出の危機、預金争奪戦の敵は「個人向け国債」だった…商品改定で始まる3年100兆円の資金シフトの衝撃】
大原のコメント→
個人向け国債は、単なる定期預金の競合商品ではなく、家計向けの「無リスク金利」を可視化する価格発見装置になりつつあります。預金者の慣性を前提に、政策金利の上昇を預金金利へ十分に反映しない銀行のビジネスモデルは、国が直接提示する金利によって揺さぶられます。
銀行は、預金流出を受け入れるか、預金金利を引き上げて利鞘を圧縮するかを迫られる。今後の預金競争は、銀行同士の争奪戦ではなく、国債を含む資本市場との競争です。銀行の強みも、低コスト預金の囲い込みから、顧客接点を通じた助言・決済・資産管理へ移らざるを得ないでしょう。
https://newspicks.com/user/121187/?ref=user_121187&id=121187&sidepeek=news_17203550
【あの「毎月分配型投信」がNISA口座に入ってしまった理由…運用会社が突然の方針転換、NISA制度の抜け穴が露呈?】
大原のコメント→
この問題が示すのは、投資信託は設定後も商品性が変わり得るのに、NISAの適格性判定が静的な制度設計になっていることです。分配頻度という形式を規制の代理変数にすれば、商品変更のたびに制度との空隙が生まれます。
本来見るべきは、商品変更後も期待された効用を提供しているかというプロダクトガバナンスです。毎月分配を一律に不適切とするのも、取り崩し期の需要を無視しかねません。必要なのは形式的な入口規制より、商品ライフサイクルを通じた継続判定だと思います。
https://newspicks.com/user/121187/?ref=user_121187&id=121187&sidepeek=news_17203551
主任研究員 長澤 敏夫 のコメント
【金融庁、運用会社の事務集約後押し 業界全体で効率化】
長澤のコメント→
2023年公表のプログレスレポートでも、二重計算や公販ネットワークの非効率性は指摘されていました。しかし、当時は「業界の課題」として提示するにとどまり、個社ごとの対応に任されていたため、目立った進展が見られなかったのが実態かと思われます。今回、「資産運用業務(運用力向上・投資判断=競争領域)」と「資産管理・ミドルバック業務(指図・計理・レポーティング=非競争領域・標準化領域)」をこれまでになく明確に区分けし、業界全体での標準化・BPO活用(2027年度中の整理目標)を打ち出したのは、個人的には非常に注目しております。
https://newspicks.com/user/6551307/?ref=user_6551307&sidepeek=news_17196199
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